2013年08月09日社長室忘れてはならない、この日
68年前の8月9日、長崎市内にプルトニウム型原子爆弾が投下されました。
このたった1発の兵器により、当時の長崎市の人口24万人の62%にあたる、
約14万9千人の人命が奪われました。
現在、世界中で「ナガサキ」とカタカナ表記される場合は、長崎市への
原爆投下を指しています。
私の中学生時代の修学旅行は九州一周旅行でした。
青春真っ盛り、その浮かれた旅程の途中に立ち寄ったのが長崎国際文化
会館の原爆資料館でした。そこに展示してある被災資料や再現模型、映像
資料は幼い私に大きな衝撃を与えました。
以来、6回ほどこの地を訪れました。
爆心地公園は今ではすっかり緑に囲まれ落ち着いた雰囲気を漂わせています。
この地に立ち、折り鶴を目にする度に得も言われぬ思いがこみ上げてきます。
悲しみと感謝の気持ちが交錯し、何気なく享受している平和の尊さを、
あらためて強く感じざるをえません。
百聞は一見に如かず、何の話か分からないという若い社員の皆さんは、
Googleで、「原爆資料館」と画像ググってみてください。
原爆投下2日前の爆心地付近(米軍撮影) 原爆投下1か月後の爆心地付近(米軍撮影)
力強く復興を遂げた観光の街長崎、瑠璃庵長崎工芸館のビードロを
いつかまた見に行きたいと思います。
「ナガサキ」が人類史上最後の被爆地となるよう祈って止みません。
社長室 鶴田