2016年06月05日「打つ手は無限にある」
万策尽きた、もう限界、もう無理かも知れないと思った瞬間に、何故かこの言葉が浮かん
でくる。「打つ手は無限にある」ということばである。
大きな壁にぶつかった時、もう限界と思った時、決まって浮かんでくる言葉である・・・
私はこの言葉に救われる。
もう駄目か、もう限界か、と思った瞬間に思わず吐いている。「心配するな、打つ手は
無限にある」とつぶやいている。
言葉の語源を調べてみた。「滝口長太郎」氏の書いた詩であった。戦後のドン底、無一文、
病身の三重苦から七転び八起き、一大事業王国を築いた千葉県船橋出身の実業家である。
詩の内容は次のようである。
『すばらしい名画よりも、とてもすてきな宝石よりも、もっともっと大切なものを私は持
っている。
どんな時でも、どんな苦しい場合でも、愚痴を言わない。参ったと泣き言を言わない。
何か方法はないだろうか、何か方法があるはずだ、周囲を見回してみよう。
いろんな角度から眺めてみよう、ひとの知恵も借りてみよう、必ず何とかなるものである。
何故なら打つ手は常に無限であるからだ。』
私が42歳の時に出会った詩である・・・今日も私は「心配するな、打つ手は無限にある」
を唱えている。
感謝、有難うございます。